「伝説のファイター、フランク・トリッグはUFCの審判たちを嫌っていた。そして彼はその一人になった」(Katie Barnes:ESPN)

MMAレジェンド・ファイター、フランク・トリッグは現在レフェリーとして活躍しています。彼のこれまでの経緯を綴ったたいへん興味深い記事がアップされました。少し長くなりますが(約5,000字)、ESPN(Katie Barnes記者)の記事の内容を抜粋して紹介します(途中をいくつか省略しています。仮訳につきラフな文章です。ご容赦ください。)

【2005年UFC 52ウェルター級タイトル戦、マット・ヒューズvsフランク・トリッグ戦の回想から】

2005年4月16日、UFC 52、最初のラウンドの残り1分強、ヒューズの脚がトリッグの腰に巻き付けられ、ヒューズがトリッグのあごの下でひじを曲げて引くと、トリッグの尻が床に引きつけられる。トリッグは、このままでいるべきだとは思ってはいないが、その時点でヒューズのホールドから逃れる方法をあまり考えられなかった。

わずか3分前、トリッグは勝ったと思った。そして今、彼は、ヒューズが彼の前腕を自分の喉に押し付けるたびにウェルター級チャンピオンシップが滑り落ちるのを感じている。

どうしてこうなったのか? 試合開始からわずか52秒、ヒューズがトリッグから離れ、トリッグは左のパンチをヒューズの顔横に打ち、ヒューズの体がケージの床にぐったり落ちた。ヒューズが倒れると、トリッグの左のジャブ、右のクロス、左、左、左、とパンチを打ち続けた。

しかし、レフェリーは決してステップ・イン(レフェリー・ストップ)しなかったので、トリッグは別のアプローチを試みた。ヒューズを倒した1分後、トリッグは優位なポジションを利用してチョークを試みた。それでも、ヒューズはタップしなかった。それが状況の変わったときだった。トリッグがチャンピオンシップを獲得したように見えたわずか2分後、トリッグがその後に続くヒューズのグランド・アンド・パウンドから逃れようとしたとき、背中に回ったのはヒューズだった。

ヒューズが首を絞ると、トリッグはホールドから逃げる手段を見つけるのに手こずった。逃げることができない。そして、第1ラウンド、残り55秒、トリッグはタップアウトした。

トリッグは、これがヒューズと対戦するラスト・チャンスになることを知っていた。彼はウェルター級チャンピオンに2度負けた。ヒューズがベルトを保持している限り、トリッグには次のチャンスはない。

トリッグはまた、こう思っている。UFCのレフェリー、マリオ・ヤマザキが100万ドルを彼から奪った、と。

【レフェリングをめぐる最近の事例】

UFCは、レフェリーに関する論争に慣れている。レフェリーについて不平を言うことはケージそのものと同じくらいUFCの一部である。

ライトヘビー級チャンピオンのジョン・ジョーンズは、2009年のマット・ハミル戦、反則の肘打ちで失格となった。それはジョーンズのレコードの中で唯一の敗北であり、10年後、UFCのダナ・ホワイトは今でも敗北の結果を覆したいと望んでいる。2014年、ユライア・フェイバーはレーナン・バラオとのタイトル戦をTKOで敗れた。彼はグラウンド状態でバラオからいくらかダメージを受けていたが、フェイバーがレフェリーのハーブ・ディーンに親指を立てて、自分には問題ないことを知らせた。しかし、ディーンは合図を見ることができず、試合を止めるためにステップ・インした。

2019年3月には、ロビー・ラーラーに対するベン・アスクレンの物議をかもしたサブミッションの勝利があった。また、同じ月に、クラウディオ・シルバが「バーバル・サブミッション」でダニーロバーツに勝った。そして、今年の7月に、ジャーメイン・ド・ランダミーがアスペン・ラッドを16秒の早すぎるTKOでフィニッシュした。

マリオ・ヤマザキは、2018年2月にヴァレンティーナ・シェフチェンコとプリシラ・カショエイラの闘いをあまりにも長く続けさせたとして批判された。シェフチェンコはカショエリアの230発の打撃を放った。試合の後、デイナ・ホワイトはヤマザキが再びオクタゴンに上るべきではないと言った。彼はそれ以来、オクタゴンには上っていない。

MMAでのレフェリングは、非常に主観的である。各試合の前に、レフェリーがアナウンスされる。彼らの名前は画面上にも示されるので、バーや自宅で見ている視聴者は彼らが誰であるか、そして怒りをどこに向けるか知ることができる。

「ルールはあるが、レフェリーの解釈がたくさんある」とディーンは言う。「私たちが従う仕組みはあるが、物事を見る方法もさまざまだ。」

2017年12月にフランク・トリッグが初めて「敵」〔レフェリー〕としてオクタゴンに入ったのは驚くべきことだった。

【トリッグのキャリア】

トリッグは、ニューヨークのロチェスターで、8人の息子の家族で育った。トリッグは、オクラホマ州レスリングチームから最終的にオクラホマ大学に移り、卒業後はアシスタントコーチとして大学に留まった。トリッグがMMAに飛び込んだのはその時だった。大学のコーチング給与だけでは国際試合の旅費を賄えないため、1998年、彼は闘い始めた。当時、MMAはまだ多くの州で禁止されていた。「私の戦いの多くはレコードさえない。アンダーグラウンドで違法だったから」とトリッグは言う。

ベルトは獲得しなかったが、トリッグは、22勝9敗のレコードでキャリアを終えた。彼は2度UFCチャンピオンシップを経験し、どちらもヒューズと戦った。ヒューズとのその2回目の戦いは、2015年UFC殿堂のファイトウィングに最初に選ばれた。

トリッグは「口」でも知られていた。ヒューズとの2回目の戦いの前に、トリッグは背を向けてケージを見つめた。グローブに触れる代わりに、トリッグはヒューズの顔にキスを放った。「ヒールにならなければならなかった。私はいつもヒールだった」とトリッグは言った。「彼らはいくらか論争を望んでいたので、私はいつも論争をふっかけ、ヒールを演じた。」

彼はまた、UFCレフェリーを徹底して侮蔑した。ファイターの多くはレフェリーについて文句を言うが、トリッグはそれを「たくさん」やった。

「彼が審判になる前、いつも審判にたいへん注意を払っていた」とハーブ・ディーンは言う。「彼はいつもアスリートとして、コーチとして、審判から期待できることに注意を払っていた。彼は他の人よりも審判を追跡しようとする人物の一人だった。」

トリッグのプロ選手としてのキャリアは14年に及び、その後のキャリアでコメンテーターを始めた。放送中、彼は選手時代のように、下手なレフィングを見て痛烈に批判した。2011年、伝説的審判ビッグ・ジョン・マッカーシーはトリッグの不満を十分に見て取った。マッカーシーはトリッグに言った。「もしレフェリングがとても簡単だと思うなら、私のCOMMANDコースを受講してください」

トリッグはそれを受け入れた。彼はそれが風(流れ)だと思った。

マッカーシーは、審判になることを望む35~40人の元ファイターにコースを受講させた。そして、ほとんどすべての人と同様に、トリッグは不合格だった。「私は下から5%だった」と彼は言った。「私はそのスポーツについて何も知らなかった」

彼は再びコースを受講した。彼は再び不合格だった。それから彼はマッカーシーに助けを求めた。マッカーシーは、判定とスコアリング、試合開始のメカニズム、試合を止める確かさなどを改善するために協力した。6週間のあいだ毎週、トリッグはラスベガスからカリフォルニア州バレンシアにあるマッカーシーのジムに行き、技術を磨いた。1対1の指導を完了したのち、トリッグは最終的に合格した。審判になるかどうかは彼の自由だった。

次のステップは、CAMO(カリフォルニア州アマチュアMMAオーガニゼーション)に認可されたイベントで100試合をレフェリングすることだった。「ほとんどの人は3年かかる」とトリッグは言った。「私は10か月でやった」

トリッグは、スタントマンとして働いていたが、レフェリーにコミットしていった。ハワイにいたとき、彼は友人の1人がスタントを演じるのを見た。彼は、スタントの仕事が今までのファイトよりもはるかにお金になることを学んでいた。

空き時間には、トリッグはカリフォルニアに戻ってレフェリーをし、友人宅のソファで寝て、仕事に戻るためにハワイに帰った。儲けはほとんどない。彼は1年で10,000ドルを失ったと言う。プロのイベントでレフェリーをしても十分なお金にはならない。トリッグによると、ペイパービューでのタイトル戦でレフェリーは1,900ドルを得るという。アンダーカードでは1,000ドル、もしかしたら1,200ドルを受け取る。

「レフェリングは金にならない」と彼は言った。「自分が金を払う趣味だ」

【再び、ヒューズvsトリッグ:現在の活躍まで】

2014年にマッカーシーのクラスをトリッグが合格する前に、マッカーシーはトリッグにある闘いを見せた。「レフェリーが何をするのかを見てほしい」とマッカーシーは言った。「ファイターたちに何が起こっているかを見ろ。」

トリッグは映像のケージの中に自分を見ることなど予想もしていなかった。彼はマッカーシーを見た。

「いまいましい戦いを見ろ」とマッカーシーは言った。

トリッグは自分が負けるのを見た。何度も打撃を受けるのを見た。繰り返し見ると明らかだった。彼は余分なショットを3発受けた。トリッグがマッカーシーに、もっと早く戦いを止めるべきだったと認めたとき、マッカーシーはトリッグに準備ができていることを知った。

「あなたがここまで抱えてきた考え方を乗り越えなければならない」とマッカーシーは言った。「審判としてその考えをもつことはできない。あなたの仕事は、そいつが自分を守ることができないときにそいつを守ることだ。あなたはその瞬間を読むことができなければならない。」

彼は現在ファイターではなくレフェリーだが、彼のハイレベルなファイターとしての歴史は選手やコーチの尊敬を得るのに役立つ。

「ジョン・マッカーシーやハーブ・ディーンほどの経験はないかもしれないが、多くのファイターたちはフランクに満足している」とカリフォルニア州アスレチック・コミッション執行役員アンディ・フォスターは語る。

最近では、トリッグは、すべての戦いの前に、いつ、なぜ、何をコールするかファイターたちに説明する。フラッシュノックアウトと呼ばれるもの(ヒューズ戦で起こったことのように、体が下に向かってぐったりするほど激しく打撃を受けること)について語る。

彼が以前にレフェリーをしたある試合で、トリッグは一人の若者が「でんぷんになる(get starched:KOでぐったり打ち負かされること)」のを見た。彼は走って戦いを終わらせ、ファイターのそばに身を乗り出し、片手を頭の後ろに、もう一方の手を胸に置いた。

「本当にノックアウトされたら何も感じない」と彼は言った。「眠りにつく。目を覚ます。床の上にいる。私は彼に起きてほしくはないが、彼は戦おうとする。だから彼が起き上がってこないように胸に手を置いている。」

トリッグは、彼がポーランドやイランへの飛行機のチケットをUSAレスリングに支払うために戦って以来、彼はこのスポーツが進化してきたのを見たと言う。現在、ファイターたちには大金がかかっている。UFCがトリッグのファイトにこれまでに支払った最高額は18,000ドルだった。 現在、アンダーカードでもその2倍はある。そして、それらのファイターが最後に必要とするものは、闘いでレフェリーがコールをしたというフィーリングだ。

トリッグvsヒューズ戦について面白いことがある。闘いを繰り返し見ることで、トリッグ自身がレフェリーの疑わしいコールから利益を得たことを認識した。

一度見ただけでは見逃すかもしれない。しかし、最初のラウンドの4:07まで巻き戻すと、まったく異なるテイク(場面)が目に映る。トリッグがヒューズに膝を当てると、ヒューズは突然トリッグから離れてマットに落ち、左手で股間をカバーする。その瞬間、ヒューズはヤマザキに目を向け、レフェリーが試合を止めることを考えた。そして、ヒューズはグラウンド状態にある。トリッグは上からヒューズにパンチを打った。

今日トリッグに、ヒューズのダウンの原因を尋ねると、彼は「彼の膀胱(bladder)にヒザを入れた」と言う。しかし、ヒューズに尋ねると、股間だと言うだろう。コメンテーターたちはそれが股間だと思った。今日、ヤマザキはそれが股間へのショットであったと認めている。
「それは私に見えなかった股間へのショットだった」とヤマザキは言った。「だから戦いを止めなかった。ただそれをそのままにした。」

「その試合では多くの間違いがあり、それらが最終的に影響を及ぼした」とマッカーシーは言った。「フランク(トリッグ)がそのように話す理由はわかるが、フランクはマリオ(ヤマザキ)から1つ〔利益〕を得て、マット(ヒューズ)もマリオから1つを手に入れた。」

言い換えれば、トリッグをレフィリングに向かわせた闘いは、トリッグが〔正しいと〕考えていることを証明しないかもしれない。彼がユニークなレフェリングの犠牲者であることを証明しないかもしれない。それが証明しうることは、それを証明することがどれほど難しいかということだ。

Legendary fighter Frank Trigg hated UFC officials. Then he became one|ESPN